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2006 年07 月06 日

オタクについて考える

 オタクを批判している人の中には実はオタクを妬んでいる人も居るのではなかろうか。

 私は以前、自他共に認める典型的なオタクだった。ある種のジャンルに異常なくらいの時間、費用を注ぎ、それを人生としてきた。オタクであると指摘される事に対し怒りも悲しみも喜びも感じなかった。何も感じなかった。ただ没頭していた。オタクには熱意があるのだ。
 だが今の私には熱意が無い。今やオタクであると呼ばれる事が恋しくすら感じる。

 現代人は個が無い。マジョリティーに淘汰されかかっている。だが、それに対し安堵すると同時に没個性に対する不安も存在する。そしてオタクのフリをした、ただのミーハーに成り下がっている者も居るだろう。
 当然それは間違っている道だと思う(それで満足している人なら良いが、私の場合はそうは行かない)。自分が何を好きなのか知らないだけだ。何も好きになれないんじゃない、好きなモノを探そうとしていないだけだ。妥協しているだけだ。パソコンでもファッションでも作詩でもビリヤードでも何でもいい、思い付く限り手当たり次第、挑戦するべきだ。

 よく言われるけれど、やっぱりいろんな体験をする事が大切だと思う。その真意の一つが「自分の興味、好奇心の発見」じゃないだろうか。オタクになるのも一筋縄では行かないものだ。
 #ただし、オタクには社会的な常識が欠けていたり、精神が成熟してない場合が多い(かつての自分含め)。それは問題視されて当然だ。興味、好奇心といった子供のような純粋さは非常に良いものだが、周囲の人に迷惑をかけるような事があってはいけない。

投稿者:未定at 17 :22| 戯言 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

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